第10回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門受賞者シンポジウム(その2)2007/03/05 23:42

メディア芸術祭の公式にもそのうち載るみたいなんで、そちらも参考にして下さい。
続きです。
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[富野]
僕はもうすぐ逃げ出すけど、もう一つだけ小説のタイトルをあげてく。
アニメ好きの人間とかコミック好きの人間に限らず男ってのは、女性の持っているこういう目線を絶対に見抜いてないんだよね、っていう小説を見つけました。セクシャリティに関することなんですけど、女ってのはどのぐらいタフなのか、女ってのはどのぐらいタフでないのかってのを女性の作家が書くとこのように書けるっていうとても良い小説なんですけど、「オリガ・モリソヴナの反語法」っていう小説で、米原万里さんっていうロシア語の翻訳家が書かれたものです。セックスとかセクシャリティというのは個人の問題だけでは無い部分があって、嫌でも社会と関与するという部分をこうもわかりやすく書いてくれた小説を本当に久しぶりに読みました。
[樋口]
それは、社会とセックスするという・・・?
[富野]
違いますよ。物凄く簡単に言っちゃいますと、スターリン時代にどれだけロシア人がいじめられたかというような話です。だけど、そういう話ではなくて、今言ったような物凄くセックスが生々しく感じられる。つまり、時をかける少女を僕が風俗映画だと言わざるを得ないのは、今の子たちの肯定論しか無くて、大人たちがガキどもに擦り寄っているのだけの視点しか見えてないのは許し難い。奥寺さんっていう女性のシナリオライターはそういう男を見透かして、仕事を勝ち取ったかもしれないというところまで感じとれてしまった。アニメとかコミックが好きという目線だけでみているのはとても危険かもしれないよ。これからアカデミーを全部取っていこうという皆さん方の世代というのは、判り易く言うと、もうちょっとだけ社会性があっていいんじゃないかな。
[樋口]
俺は、そういう意味で言うと、修復絵画を未来から観に来たいという簡潔なシチュエーションの中のある底知れぬ闇というのが、伝わらない人には伝わらないかもしれないけど、この作品の毒であり、深みでありっていうのを感じましたね。
[富野]
だから、ほんとに演出技術が優れているだけに、流れているのが残念だったなあ。そういうところはもう少し、細田監督だって大人になったんだから、そういうところは良いところは見せて欲しいなあ。
[細田]
いや、凄く沢山提言を頂いたんですけど、それに対してどのようにお話しすれば良いのかわからないんですが・・・
[樋口]
そう言われたってしょうがないですよねぇ。
[細田]
まあ、映画そのものはもちろんどんな風にご覧頂いても観た方の中に半分はあるのですが、ただこうやってお話をさせて頂いている以上、何か応えないといけないなあと思っているんです。
[富野]
いや、ここで討論会をやっているわけではないし、やる気も無いし、少なくとも現職である人間というのは、実を言うと作品以外のところでべらべらしゃべるのはあまり良くないのよね。ただ、ほんとにこの歳の差を考えた時に言える事は、簡単に褒める事をしてはいけないし、どうしてかというと完璧な作品なんてあるわけはないんだから、と同時に世代の違いが持っている見解の違いだけは意思表示はしておく必要があると思ったし、そして次の仕事に向かって億劫がらずに良いものを作るようにして頂きたいなと思うから、今みたいな言い方をしたんです。
[樋口]
そして我々は監督消えた後に陰でこそっと言うわけですよ。「うるせーじじい」と(笑)
[富野]
それも予定のうちで、要するに「うるせーじじい」とか「いなくなってくれて良かったね」とか皆が後でニコニコする時に、はっきりした輪郭にしておきたいのね。ぼんやりとしたまんまでね、ぼんやりとした奴がいなくなって、いやーせいせいしたって言われるの嫌じゃん(笑)
[樋口]
はっきりしていらっしゃる(笑)
[富野]
今日は始めからそれ予定して、こういう風にやりましたので僕は時間になりましたので帰ります。
[樋口]
まだ、いて下さいよ。
[富野]
何やんの?
[樋口]
時間は無いけど、会場からの質疑応答をやりたいと思います。
[細田]
じゃ、今の富野さんの話に対して、僕が何か応えるというのは無しで良いってことですね?
[富野]
そんなの気にいらない!って、話だって言ってくれていいんだよ。
[細田]
えと、いや、正確に富野監督がおっしゃることを受け止めている自信が無いんですけど、自分の中で商業アニメってものが一般の人たちに観てもらうためには表現そのものに壁があるということに強い問題意識を持って作ってます。
アニメだから観るのやめようかなとか、観辛いみたいな壁は現実に存在していると思います。広く観て欲しいと思っていても、壁の存在を無しに作ることは難しいです。この時をかける少女も壁の存在を意識して作ってはいるんですけれども、まだ試行錯誤の過程です。アニメーションに対して寛容な人と寛容じゃない人の差を無くそうと努力しているんですが、まだ上手くいってないかもしれない。
[富野]
いや、その点に関していえば、時をかける少女は、実写が持っている壁を見事にアニメによって外してくれていると思います。実写以上に優れていると思います。それはどういうことかというと、おそらく細田監督の演出技法というのは、アニメの技法では無くて、映画の演出論としての技法なんですね。あと、奥寺さんを取り込んだ物語の構造論というのが極めて簡潔に映画的になっていて、それこそ過去にあったしょうもない時をかける少女より遥かに良い形でまとまっている。そういう意味では、アニメの壁を外しているかもしれないと思います。だから、その部分の配慮は今後ともずっと持っておく必要があるんじゃないのかなという気がしてます。
[細田]
時をかける少女というのをアニメーションでやることによって壁を乗り越えたとして、一方で乗り越えられない部分というのは、やっぱり女の子を描くってことを僕らスタッフは慎重に一生懸命考えたんですけど、うまくいってるいってないというのはあると思います。例えば、富野さんのお話を聞いていて思い出したのは、奥寺さんがシナリオ打ち合わせの時に性的なことをことに関してなんて言ったかです。時をかける少女のプロセスとしては付き合う付き合わない告る告らないが大きな要素としてはそれだけで進行しているんですけど、僕は男なんでどういう風にアプローチするか悩んでいたんですが、奥寺さんに言われたのが「男も女も変わらないですよ。」っていう一言で、凄く楽になりました。その価値観に乗っかってそのまま最後まで作り切りました。もしも、やっぱり違うのよっていう話が始まっちゃったら、多分出来なかったんじゃないかなと思うぐらいで、脚本家の出会いという意味では幸運だったなと思っています。
[富野]
いや、作家の日常感覚の問題なんです。劇映画にしていくという作りを考えた時に、小さな中国のお針子っていう映画を取り出してきたのは、この時代にどういう風な劇映画を作っていくかという部分を考えた時に、現象を捉えるだけじゃなくてという風にを考えた時に、ティーンエイジャーたちが取り囲まれている社会性みたいな、作りを見せて欲しい。そこが作りきれてないなっていう。
[樋口]
それはもしかしたら、多くの観客に提示するために選んだ現代性のもの足りなさということですか?
[富野]
いや、社会性と言っているから現代性が足りないと言っているのではなくて、世の中との関わり合いの中で10代の男の子たち女の子たちが何を目指しているのか何を求めているのか、付き合いたいの次が見えない。これは年寄りの老婆心なのかもしれないけど、何か一つ詰まらないんだよねえ。
[細田]
この作品の中で、主人公たちを強く見ている視点があるかというと思い当たるのは魔女おばさんなわけですけど、彼女の目線から10代の子達の行動を客観的というか社会的に見るということを用意したつもりなんですけど、富野監督の話を聞いているうちに、彼女は30代後半の女性という設定なんだけれども、歳相応の視点であったのかというと・・・
[樋口]
いや、監督を満足させるには60歳にしなきゃいけない(笑)
[富野]
そういうもんではない。人物配置としてはあれで良いんですよ。あれで良いんだけれども、現代の日常の高校生の声しか聞こえてこない不満というのが、ああいう言い方になっちゃうんだけれども、セックスにしか行ってないのかもしれない、社会に出て次にどうするかとか、彼と付き合うことはどういう事なのかとか、彼女と付き合うことはどういう事なのかとかに関して、やっぱりかなりめでたいなっていうキャラクターなんだよね。
[樋口]
俺も高校生のころは、どうやったらもてるかとか・・・
[富野]
いや、それはリアルな我々の話なんだよ。劇映画にしていかなくちゃならない時にそれだけだと、だらしが無いだろ。
[樋口]
そうとも言えないですよ。もしもそれが含まれた時をかける少女だったら、推してないかもしれない。
[富野]
・・・・・。それはあなたが映画っていう機能についてとか自分のスキルについて満足しちゃっているわけで、それじゃオスカー取りにはいけないよ。だから、若い人たちには志は高く持って頂きたい。あとは、おじさんいなくなるんで。
[樋口]
え、ほんとにいなくなるんですか。俺時間オーバーは当たり前だと思っていたんですけど。
[富野]
ほんとにいなくなります。ということで、時をかける少女で大賞を取られました細田監督でした。おじいちゃんは先に帰ります。すいません、この後、予定があるもんですから。
[細田]
ありがとうございました。
[樋口]
ありがとうございました。富野監督に大きな拍手を。
[富野]
(手を叩きながらにこやかに退場)
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続きはまた後日。